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Vol. 019

講演レビュー

金子 新 氏 (京都大学 iPS細胞研究所金子新研究室 主任研究者・教授)

iPS細胞を活用した革新的ながん治療方法を開発したが実用化までには課題が山積。政府や製薬業界から支援を受けようとしたが厳しい指摘も少なくない。このままでは研究が頓挫しかねない…

こんな時、あなたならどうする?

iPS細胞を活用した新たながん治療法を開発

京都大学iPS細胞研究所(CiRA)の金子新・教授がTOC(制約理論)を導入して、iPS細胞を活用した革新的ながん治療方法を開発した。大阪・関西万博が開催される2025年4月までにパナソニックと協働で試作機の完成を目指している。

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 2024年5月30日、Goldratt Japanが開催している「TOCクラブ」にCiRAの金子新・教授が登壇した。同教授は、iPS細胞を活用した新たながん治療方法の確立と普及を目指す「My T-Serverプロジェクト」を主導。このプロジェクトの詳細を解説した。


 金子教授が講演の冒頭に映し出したスクリーンの中央には、緑色のがん細胞の塊がうごめいている。この緑色の塊を黒い小さな細胞が攻撃中だ。すると、緑色の細胞が徐々に赤く染まっていく。赤い部分は、死んだがん細胞。攻撃を行う黒い細胞は、iPS細胞から作製されたT細胞(Tリンパ球)である。


金子新教授の講演姿
Goldratt Japanが主催する「TOCクラブ」で講演する金子新・教授


実用化には課題が山積

 T細胞は、感染した細胞やがん細胞を認識して除去するなど免疫システムに働く細胞。金子教授は「1000万種類以上あるT細胞受容体(TCR)というセンサーによって攻撃する敵(細胞)を見定めて排除します」と説明する。自分の細胞は攻撃しないが、他人の細胞やウイルス、そして自分の細胞が変化したがん細胞を排除する機能を備えている。がんを攻撃するTCRをT細胞に導入して、患者に移植すればがんを排除することが可能になる。T細胞を活用したがん治療は、がんの三大治療法と呼ばれている「手術療法」「放射線療法」「化学療法」と比べて副作用が極めて少ないことが大きな特徴だ。


 ただし、実用化にはさまざまな障壁が立ちはだかっている。一つ目が、がんを攻撃するT細胞がもともと少ないことに加えて、がんと戦っているうちに疲弊して消えてしまうことだ。さらに、一度にT細胞を増やし過ぎても弱ってしまうという課題もあった。新型コロナウイルスに対するワクチンを繰り返し接種することも、こうした現象に対応するためだ。もう一つの障壁は、個人によって異なる細胞型を持っているので、他人に由来するT細胞を使えないことだ。



高額な治療費の低減を目指す

 こうした障壁を解消するために、CiRAはiPS細胞を活用したがん治療方法の研究開発を進めてきた。金子教授は、新たに開発した治療方法を「がん免疫研究とiPS細胞が融合したもので、いずれも京都大学でノーベル賞を受賞した本庶佑先生と山中伸弥先生の研究のいいとこ取りをしたもの」だと笑顔で説明する。


 iPS細胞からT細胞を作製する治療方法には、①患者自身の細胞から作ったiPS細胞を分化させる「自家移植(オーダーメイドの治療方法)」、②他人の細胞から作ったiPS細胞を分化させる「同種(他家)移植」――という2つの方法がある。他家移植では、患者本人ではない細胞を利用するため、免疫拒絶反応が出るという問題があり、それを回避するためのさまざまな遺伝子改変が試みられている。


 一方の自家移植は、免疫拒絶の心配は少ないものの、オーダーメイドのため高額の治療費を要するという既成概念があった。例えば、一部の白血病の治療として実用化されている「CAR-T細胞療法」では、日本での薬価(1回当たり)は3300万円にもなるという。裏を返せば、治療費が高額だという課題を克服すれば広く普及させることが期待できる。


iPS細胞を活用した新たながん治療の図
図1●iPS細胞を活用した新たながん治療の仕組み

 CiRAは、自家移植の課題を解決するために新たな治療方法として「個別化移植」の開発に取り組んだ。個別化移植とは、がん細胞を攻撃するT細胞を患者自身から取り出し、その中にあるTCRの遺伝子情報をiPS細胞に導入。大量に増やしたT細胞を患者に移植するという治療方法だ。がんを狙うセンサーを持つT細胞を大量生産することで、一人ひとりの患者に個別化されたがん免疫細胞治療を繰り返し行えるようになる。



Goldrattに相談を持ちかける

 この治療方法を確立するために、政府や製薬業界から支援を受けようとしたが厳しい指摘も少なくなかった。それは「個人差があるので個別化iPS細胞製品は品質が一定しない」「個別化iPS細胞製品は高額で現実性がない」「個々の製品の品質を証明する動物実験データが取れない」といったものだ。


少量個別用製造と大量共通用製造の違い
図2●少量個別用製造と大量共通用製造の違い

 それでも諦めきれない金子教授は、CiRAを頻繁に訪れていたGoldrattJapanのCEO(最高経営責任者)である岸良祐司に相談を持ちかけた。岸良はボランティアとして、TOCを活用して研究の生産性を上げる支援を行っていた。


 新しいがん治療方法の説明を受けた岸良の第一声は「ものすげー単純なプロセスじゃん。しかも、もうほぼ出来上がってる!」というものだったという。製造業のクライアントを支援する中で超低温や超高温の環境が必要な生産現場を見てきた岸良にとって、ほぼ室温で細胞を培養するプロセスは難しいものには思えなかったのだ。岸良からの説明を受けて、金子教授は「がぜん、やる気が出てきた」と当時を振り返る。ここから、新しい治療方法を確立するためにGoldrattメンバーの支援がスタートした。



「E4V」でコンセプトを創出

 製造業に精通したメンバーの支援の下、細胞を培養するプロセスに製造業者が導入している少量個別用製造の技術を応用することにした。これによって、政府や製薬業界から受けた指摘も解決の道が見えてきた。ただしCiRAの力だけでは、この技術を実装することは不可能だった。そこで、共同で研究する事業者を探すことにした。


 この際、TOCのイノベーションプロセスである「Eyes for Value(E4V)」を活用した。E4Vは、商品やサービスの開発だけでなく、ビジネスプロセスにも革新をもたらすイノベーション創出方法。顧客にとっての価値を起点に、ブレークスルーを見つけ出し、商品・サービスのイノベーティブなコンセプトを見いだして価値を創出した上でビジネスモデルを創り、実行計画にまで落とし込む。


 E4Vでは、最初に「顧客の目」「市場の目」「商品の目」という3つの視点で価値を分析する。顧客の目では、商品・サービスに関わるステークホルダーが困っていることや不満に思っていることを列挙する。TOCでは、困りごとや不満を「UDE(Undesirable Effect:ウーディー)」と呼んでいる。これを列挙したら、その後に困りごとや不満に関する顧客の限界を取り除くアイデアを考える。ステークホルダーの置かれた環境にある大きなマイナスをマイナスすることで、そこに価値を生み出す仕組みだ。


製造業者が導入している技術を応用して、厳しい指摘の課題を解消
図3●製造業者が導入している技術を応用して、厳しい指摘の課題を解消

 これに取り組むことで、T細胞を再生するまでのプロセスの処理を実行する専用装置を開発するというコンセプトが創出された。患者から取り出したT細胞を使って、患者ごとに必要なT細胞を製造する工程を簡便な操作で実行できる小型培養装置である。金子教授は「将来的には一般的なクリニックでも導入できるように低コスト化・省力化した製品を提供したい」と抱負を語る。


 E4Vでは、開発する商品が既に存在するかのようにカタログをつくる。このカタログは「WOW!カタログ」と呼ばれている。CiRAでも、ある製造業者のミニマルファブ(超小型の半導体製造装置)の写真を借用し、営業用のカタログのように仕立て上げた。装置のサイズは、一般のオフィスにあるウオーターサーバー程度である。写真の下には、数々のキャッチコピーが並ぶ。まだ、完成してはいないものの、詳細な仕様も掲載した。このカタログをつくるとき、装置の名称を「MyT-Server」と決めた。


E4Vで創出した「My T-Server」のコンセプト
図4●E4Vで創出した「My T-Server」のコンセプト

 共同研究の仲間探しのために、このカタログを携えて岸良やGoldrattメンバーと同行して、パナソニックホールディングスを訪問した。MyT-Serverのコンセプトを説明して「一緒に実現しませんか?」と問いかけた。パナソニックHDはコンセプトに賛同して、プロジェクトへの参加を決めた。


 2024年4月には、CiRAとパナソニックHD、およびシノビ・セラピューティクス(旧サイアス)の3者で共同開発契約を締結した。シノビ社は、京都大学の研究成果を活用するベンチャー企業で、京都大学イノベーションキャピタル(京都iCAP)が投資している。CiRAの金子研究室と共同研究の契約を締結済みだ。


 同月には、この3者の連名で「MyT-Serverプロジェクト」発足のプレスリリースを出している。このプロジェクトでは、iPS細胞を活用した新たながん治療方法をCiRAとシノビ社が共同で確立し、パナソニックHDを中心としたチームが本技術を活用した小型培養装置を開発する。プレスリリースの中で、大阪・関西万博が開催される2025年4月までに試作機を完成させるという目標を掲げている。



TOCで研究の生産性を向上

 プロジェクトの発足後も、Goldrattメンバーが支援を継続し、TOCの知識体系に含まれる数々のツールを活用している。全ての基礎となっているのが、TOCの問題解決手法である「思考プロセス」だ。


 思考プロセスは、原因と結果の関係を使って、論理的に考える力をつけるために編み出されたツール。①事象を記述する「はこ」、②事象のつながりを表す「矢印」、③複数の事象の組み合わせを表す「バナナ」――という3つの道具を使用する。TOCにおいて、事象の論理関係を表すための基礎的なツールだ。


 今回のプロジェクトでは、暗黙知の形式知化、仮説の論理構造を使った思考実験、「URO(UnRefusableOffer:ウィン・ウィンの関係を生み出すオファー)」などを活用し、懸念や障害を解消して素早い問題解決の支援を行っている。


 プロジェクト全体のマネジメントには「CCPM(Critical Chain ProjectManagement)」を活用している。CCPMの骨子は、プロジェクト期間を決めている最も長い作業のつながりであるクリティカルチェーン(プロジェクト期間の制約)を特定し、各工程が設定しているバッファ(安全余裕)を工程内に置かず、全工程の最後に置いて、プロジェクト全体で管理することだ。バッファの消費は必要最小限に抑えられ、工期全体の期間を大きく短縮することが期待できる。今回のプロジェクトでも、当初の想定よりもプロジェクト期間を短縮できた。


CCPMのフィーバーチャートでプロジェクトの進捗を管理
図5●CCPMのフィーバーチャートでプロジェクトの進捗を管理


地産地消のがん治療へ

 現在はCCPMを活用しながら、パナソニックHDと協力してMy T-Serverを開発するプロジェクトを推進中だ。CCPMでバッファを管理する「フィーバーチャート」でプロジェクトの進捗を常に確認している。進捗が遅れそうになると、両者が協力して対策を立てて遅れを取り戻している。


 金子教授は「患者さんが住んでいる地域でiPS細胞から必要な組織や細胞を作り、安価に個別化治療を実現する“地産地消”の体制を築くことで、再生医療社会を創出したい」と語る。一般的なクリニックでも導入できるように、低コスト化・省力化した装置の完成を目指している。


 CiRAでは「iPS細胞研究知的財産基金」において、次世代を担う優秀な研究者の積極的な登用・育成や、知的財産の確保など研究支援体制の維持に向けて寄付を募っている。寄付の使い道の一部を指定することも可能だ。下記に連絡すれば、迅速に対応するという。



【連絡先】

京都大学iPS細胞研究所 金子研究室

kaneko-shien@cira.kyoto-u.ac.jp

075-366-7157


CiRA金子研究室がTOCの導入を決断した際のリスキー·プリディクション
図6●CiRA金子研究室がTOCの導入を決断した際のリスキー·プリディクション

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