top of page
Vol. 012

事例

東急建設株式会社

グローバル化・デジタル化・多様化への対応や、国内市場の成熟化に伴うストック型社会への対応など経営環境が激変する建設業界。2024年4月には働き方改革関連法を順守するために残業時間の大幅短縮にも迫られている…

こんな時、あなたならどうする?

TOCを駆使した働き方改革で労働生産性を飛躍的に向上

100年に一度といわれている渋谷エリアの再開発を手がける東急建設。日本の建設業界が大きな転換期を迎える中で、同社は2018年4月から働き方改革に着手。TOC(制約理論)を駆使することで、労働生産性と従業員エンゲージメントの大幅な向上を実現した。

23092290.png

 「TOCの考え方をこれほど生かせる機会はないと思いました」。このように語るのは東急建設の寺田光宏社長だ。同社は、全社の働き方改革を推進するために、2018年4月に働き方改革推進部を設置。同時にゴールドラットジャパンの協力の下で、TOCを実践するプロジェクトを始動させる。

東急建設 代表取締役社長 寺田 光宏 氏

 実証実験で成果が上がることを確認した後に、北海道から沖縄県にまたがる全国74カ所の作業所でプロジェクトを展開。この結果、現場の労働生産性は大きく向上した。「1人当たり時間外労働・休日出勤時間数(総合技術職)」は2017年度と比較して、2018年度は年平均で52時間削減、翌2019年度は97時間も削減できた。



転換期を迎える国内建設業界

 国内の建設事業者は現在、大きな転換期を迎えている。グローバル化・デジタル化・多様化した社会への対応や、国内市場の成熟化に伴うストック型社会への対応、これに加えて地球規模の環境保全に取り組む必要もある。


 さらに人手不足が長期にわたって続いているにもかかわらず、労働時間を短縮せざるを得ないという事情もある。働き方改革関連法において建設事業者に対する時間外労働の上限規制の猶予期間が終了し、2024年4月からは年間残業時間が360時間になる。同社では2017年度の実績が約650時間となっており、残業時間をほぼ半減させなければならない。労働生産性の向上は「待ったなし」の状況だったのだ。


 これらの経営環境の変化に対応するために、東急建設では3つの観点から中長期的な戦略を打ち出している。「労働力不足の深刻化」という観点では①地域の優良ゼネコンや協力会社との連携強化、「リニューアル需要の拡大」という観点では②事業ポートフォリオの拡充・多角化と③東急グループの総合力活用、「生産性向上の必要性増大」という観点からは④オペレーション革新による現場力の高度化――という4つの戦略だ。


 ④では、現場力の高度化に加えて、社員のエンゲージメントを高めることも目的の一つとして掲げている。TOCを実践するプロジェクトは④を実現するためのもので、論理的思考からのアプローチによって作業の滞留をなくして仕事の流れを良くすることが大きな狙いだ。これまでのマネジメントはベテランの勘と個人の頑張りに頼ることが多かったが、その無形的な考えを形式知として「論理的に考える」「滞留をなくし流れを良くする」と置き換え取り組むことにした。



思考プロセスで自身の行動を考える

 同社は現場力の高度化を目指すためには、現場の社員が①論理的に考える、②明確な目的・目標を共有して推進する、③今はやらないことを決めて、やるべきことに集中する――ということが必要だと考えたという。そこで、TOCの知識体系に含まれるツールを活用して、それぞれに対応する取り組みを実践した。「思考プロセス」「脳はうフロー(ローリングバック工程)」「たすかるボード(WIP管理)」の3つだ。

図1 ●現場の社員に求める 3 つの要素のそれぞれでツールを導入

 思考プロセスとは、エリヤフ・ゴールドラット博士が開発した考えるためのツール。①事象を記述する「ボックス」、②事象に対する原因と結果を論理でつなげる「矢印」、③複数の事象が合わさって次の事象が起きることを示す「バナナ」――というたった3つの道具で複雑に絡み合った事象の因果関係を図示できることが大きな特徴だ。


 東急建設では、現場の社員に対して、目標を達成するための行動を考える際に、確実に起こるであろう未来を論理的に予測する「仮説の論理構造」で考え、リスキー・プリディクションすることを提唱した(リスキー・プリディクションについては、図5を参照)。現場の社員たちが、前提(望ましくない状態)を洗い出した上で目標(望ましい状態)を決めて、目標を達成するための行動とその理由を考えるようになったという。


 同社で最初にTOCを導入した名古屋支店の土木部長(現・土木事業本部工務部長)を務める山本博司氏は、現場の社員がリスキー・プリディクションを実践する効果を「繰り返し実践することで、論理的に考える力が身に付き、目標に対して真の行動がとれるようになります」と指摘する。



抜けや漏れのない工程表を作る

 2つ目の「脳はうフロー」は思考プロセスの考え方を活用して、プロジェクトを開始する前にゴール(目標)にたどり着くために必要かつ十分なタスクを洗い出すためのツール。参加者全員で知恵を出し、ゴールまでの工程表を作り込む。

図2 ●シールド工事の脳はうフロー

 具体的には「この前の段取りはなんですか」「本当にそれだけですか」「○○したら××できるんですね」という3つの質問を繰り返し問いかけることで、必要十分なタスクを洗い出すとともにタスク間の因果関係を結び付けられる。これによって、予想される抜けも重複もない工程表が完成する。業務の漏れや手順の間違いが防げ、結果として手戻りや手直しが未然に防げるのだ。


 東急建設でシールド工事の工程表を作る際、事前に工事未経験の若手社員にヒアリングしたところ、5つのタスクしか出てこなかったという。そこで、プロジェクト経験があるベテラン社員が若手社員に3つの質問を繰り返して問いかけて議論した結果、合計で66個のタスクが洗い出せた。


 山本氏は、脳はうフローについて「工程表が完成するという意味合いだけでなく、ベテラン社員と若手社員の双方に副次的に多大な恩恵があります」と評する。プロジェクトを先導するベテラン社員にとっては、関係者全員の意識統一につながることに加え、これまでうまく伝えられなかった自分の経験・技術・ノウハウなどの暗黙知を言語化し、言葉と論理構造にすることで形式知に変換することでき、若手社員への伝承・教育につながるというメリットがある。


 一方の若手社員には、経験がなくても短時間で仕事全体の流れを把握でき、次にやるべきことが明確になるというメリットがある。山本氏は「ベテランと若手社員が一緒に工程表を作成することで、所内のコミュニケーションが活性化しました」と語る。


 同社では、付箋紙で作った工程表を電子化することにも取り組んでいる。これによって、同じようなプロジェクトへ取り組む現場への展開が容易になった。

図3 ●脳はうフローにある「施工方法を作成する」というタスクを展開した例


「今はやらないこと」を決める

 3つ目の「たすかるボード」は、自分だけでは解決できないために停滞しているタスクを見える化し、助けられる人からタイムリーに支援を得て、手遅れになる前に手を打つためのツール。一人の人間が複数のタスクを抱えたときに、優先順位を付けて「今はやらないこと」を決めて、やるべきことに集中し、困った際には周りの人間が支援することによって、プロジェクト全体の生産性が飛躍的に向上する。


 東急建設では、脳はうフローで作成した工程表とたすかるボードを連携させている。まずは、脳はうフローにあるタスクを、作業レベルのタスクに展開する。ここでも、脳はうフローの作成時と同様に、3つの質問を繰り返すことで抜けや重複のないタスクの構成表を作れる。展開したタスクに完了予定の日付と作業予定時間を書き込むことで、たすかるボードと連動させることが可能になる。

図4 ●たすかるボードの基本的なフォーマット(上)と実例(下)

 工程表とリンクすることで、プロジェクトとしての優先順位を明確にし、今やるべきタスクに必要なリードタイムを確保することができる。マネジャーは、各担当者や現場からタスクを集めて優先度を決めた上で担当者への割り振りを行う。この際に、マネジャーは特定の社員に多くのタスクが偏らないように配慮することもできる。


 同社に限ったわけではないが、一般的に専門性の高い作業をこなせる希少な人材に多くのタスクが集まってしまう。このまま割り振ると、その人材のところで仕事が滞留することになる。こうした事態を回避するために、希少な社員にはその人にしかできない仕事に集中できるようにその他の仕事をほかの社員に割り振る。人材育成の観点から希少リソースのタスクを意図的に特定の人に割り振ることもできる。


 実際、同社でもホワイトボード上で担当者ごとにタスクの名前が書かれた付箋紙を貼ってみると、ほかの社員に比べて主任のところに約2倍の付箋紙が集まっていた。これでは、主任が部下に適切な指示・指導ができなくなってしまう。そこで主任には当人にしかできない仕事に集中できるようにするために、所長がほかの社員にタスクを割り振っている。


 たすかるボード上では、担当者ごとに「やらなくてはいけない作業」の欄に自分に割り振られたタスクが貼付される。この欄では右にあるタスクほど優先度が高い。各担当者は、一番右にあるタスクを「実行中」の欄に移して作業を行う。一度に複数のタスクを実行すると生産性が大きく下がるので、実行中の欄には一つずつタスクを移すこと、そしてそれが完了するまではほかのタスクを実行しないことが原則だ。


 さらに、タスクを実行する前には必ず「フルキット」を行う。フルキット(万全な準備)とは、何らかの作業の前に必要なあらゆる準備(目的、人員、マテリアル、その他の段取り)を整えることだ。万全な準備ができていないと、手順の間違いや品質の低下を招き、結果として手直しや手戻りが発生したり、取り返しのつかない状況に陥ったりする。建設事業者の場合は、段取りを間違えると事故が起き、人の命を危険にさらす恐れもある。フルキットが整わない限り、その作業にとりかからないことも原則だ。



現場の問題を見える化する

 実行中のタスクに問題が発生したら「お助け」の欄に付箋紙を移す。所長は、定期的にたすかるボードでプロジェクトの進捗を確認しており、ほかのメンバーと相談してそのタスクの支援策を提示する。現場で起こっている問題を見える化して、プロジェクト全体で手遅れになる前に手を打つための仕組みだ。これらのプロセスを経て、タスクが完了した際には「完了」の欄に付箋紙を移す。


 たすかるボードにある「集中タイム」とは、実行中のタスクに集中するために設定する作業時間帯のこと。この時間帯には、ほかの社員が割り込みで仕事を依頼することは禁じられている。


 たすかるボードは、部長や所長などの管理者にとっては、担当者の実施業務の見える化と明確化を実現できるともに、問題を早期に発見できるといったメリットがある。先輩から後輩への教育ツールにもなっているという。現場の担当者にとっては、今やるべきことを明確化して、一つずつのタスクに集中することによる効率化などのメリットがある。


 山本氏は「仕事の滞留を見つけやすくなったことで、社員間に助け合いの文化が醸成されました」と語る。

図5 ●東急建設が TOC の導入を決めた際のリスキー・プリディクション


改革の成果を報奨金として還元

 一連の改革に取り組むに当たって当時、副社長に就いていた寺田氏は社員に対して6つのコミットメントを掲げている。その一つに「時間外労働時間の短縮で得られた資源は皆さんに還元します」というものがある。寺田氏はこのコミットメントを実行に移す。労働時間削減分を報奨金として若手中堅社員に還元したのだ。2018年度は1人当たり13.2万円、総額で1億1100万円を、2019年度は1人当たり25.8万円、総額で2億3700万円を支給した。


 改革当初の目標の一つである従業員エンゲージメントの向上でも大きな成果が上がった。リンクアンドモチベーションが実施している「ベストモチベーションカンパニーアワード2020」の大手企業部門で7位、建設業界では最上位の座に就いた。一連の改革の成果を寺田社長は次のように評する。「生産性が上がるだけでなく、人が育ちました。単に労働時間を減らすだけではない『真の働き方改革』が実現できたと考えています」(了)

bottom of page