Vol. 003
事例
パナソニック株式会社
スマホの登場でコモディティー化が進むカーナビの事業部長に就任。過去にはテレビ事業の責任者として自社の製品がコモディティー化するのを目の当たりにしてきた。レッドオーシャン市場でもコモディティー化を防ぎたい…
こんな時、あなたならどうする?
MOTとTOCでカーナビのコモディティー化を防ぐ
スマートフォンの普及によって、カーナビ市場は大きな打撃を受けた。そのような中で、2016年にパナソニックが革新的なヒット製品を送り出した。過去に類を見ない構造を採用した大画面製品だ。同事業を率いる上原宏敏氏による大学院での研究とTOC(制約理論)が、この製品を生み出した。
20世紀後半に世界経済を席巻した日本の家電産業と自動車産業。リーマンショック後に自動車は復活した一方で、家電はほとんどが事業を縮小または海外へ移転してしまった。
「家電の低迷はコモディティー化が主因とされているが、自動車産業はどうやってコモディティー化を防いでいるのか」。パナソニックで車載事業を推進するオートモーティブ&インダストリアルシステムズ社(AIS社)の副社長を務める上原宏敏氏は長年、こうした思いを募らせていた。
大学院で研究することを決断
上原氏は2009年から2012年の間、プラズマ&液晶テレビの事業総責任者を務めており、自らが手がける製品がコモディティー化する様を目の当たりにしてきた。
同氏は現在、カーナビやカーオーディオなどの車載情報機器を手がけるインフォテインメントシステム事業部(インフォ(事))の事業部長も兼任しているが、テレビ事業が苦況に陥った構造をアカデミアの視点でまとめておきたいと考えていた。
そこで、上原氏はアカデミアでMOT(技術経営)を研究することを決断する。2014年から大阪大学大学院の博士課程で、コモディティー化の要因を分析する研究に取り組んだ。2016年には博士課程を修了し、博士号を取得している。
MOTを研究するに当たって、上原氏は一橋大学の延岡健太郎教授の研究を参考にした。延岡教授は「企業に求められることは『価値創造』と『価値獲得』の2つであるが、適正な利益を生み出せないのは、価値獲得ができていないためだ」と指摘している。上原氏が担当していたテレビ事業は、まさにこの構図に当てはまっていた。毎年、必死に新たな機能の開発を行っていたが、顧客への訴求を含めた価値獲得が不十分で、価格に転嫁できていなかった。
同氏は、日本の家電産業と自動車産業の事例を分析することによって、価値獲得がうまく機能するようなメカニズムを導き出す。これが「顧客価値づくりモデル」である(図1)。このモデルでは、価値創造と価値獲得のプロセスは、仲介者によるコミュニケーションによって成立している。コモティー化が起こっていない自動車産業では、自動車メーカーとディーラー、販売店、顧客の間で、このサイクルが成立していることを実証できた。自動車メーカーで革新的な技術や製品が開発された場合は、まずはディーラーのオプションという形で市場に投入し、それが成功したら標準機能として搭載し、本体の価値を向上させることによってコモディティー化を防いでいたのだ。一方、家電産業では、このサイクルを成立させることができずにコモディティー化を防げなかった。
再現性を求めてTOCを導入
コモディティー化を回避するモデルは導き出せたものの、これを実践に移すには課題が残っていた。このモデルは、あくまで過去の事例を分析して仮説を立てた段階にとどまっており、自然科学で言われる「未来を予測できるもの、誰もが再現できるもの」にはなっていないということだ。
このような時に出会ったのが、全体最適のマネジメント理論であるTOC(Theory Of Constraints)だった。物理学者であるエリヤフ・ゴールドラット博士が開発したTOCは、ハードサイエンス(自然科学)において用いられる「Cause & Eff ect Logic(因果関係)」を使って、マネジメントの世界に科学的なロジックを持ち込んだ理論だ。
この理論を深く理解するために、上原氏が率いるインフォテインメントシステム事業部内でセミナーを開催。これに参加した上原氏と事業部のメンバーは、TOCを駆使することで再現性のある理論にできると判断して、実証に乗り出す(図2)。対象となる事業には、コモディティー化が急速に進んだ「市販カーナビ」を選んだ。市販カーナビとは、純正品やディーラーオプションとして搭載する機器ではなく、量販店などで販売されているカーナビ製品のことだ。
90年代から急速に普及したカーナビは、競合各社が競い合うように新機能を搭載させていったことで、製品が猛スピードで進化していった。裏を返せば、製品の成熟化が進んだことを意味する。
現在の普及率は約60%だが、純正品・ディーラーオプション品の装着率の上昇や、ナビゲーション機能を搭載したスマホアプリの登場などで普及率の伸びは踊り場にある。競争の激化で価格は急速に低下し、およそ10年の間に約半分に下落しているという。市販カーナビが売られている量販店では、「お買い得ナビが勢ぞろい」といったように機能の違いは訴えず、価格だけをアピールしている。典型的なレッドオーシャン市場だといえる。
インフォ(事)では、販売会社から「この機能を付けないと競合の製品に負ける」という意見が来ることもあり、開発の現場では新たに搭載する機能の議論に終始していたという。しかし、開発コストや開発期間の制限から、販売担当者と開発者の双方ともに満足できない製品を市場に投入せざるを得ないケースもあった。こうした状況から脱却するために、2015年にTOCの知識体系に含まれる「Eyes for Value(E4V)」を導入した。
E4Vは、過去に類を見ない新たな価値を備えた製品やサービスを創出するためのプロセスのことだ。イノベーションの創出に結びつくため、「TOCfor Innovation」とも呼ばれている。E4Vで生み出される価値について、ゴールドラット博士は次のように語っている。「価値とは、顧客にとっての重要な限界を、過去には不可能だった方法を使って、他のどの競合もできなかったレベルで取り除くことで、もたらせるものである」
3つの視点で新たな価値を創出
E4Vでは、新しい価値を見いだすために、「顧客の目」「市場の目」「商品の目」という3つの視点で商品・サービスを分析する(図3)。顧客の目では、商品・サービスに関わるステークホルダー(ドライバーや販売会社、流通業者など)が困っていることや不満に思っていることを探し出す。TOCでは、これを「UDE(Undesirable Effect:ウーディー)」と呼んでいる。例えば、ドライバーの場合は「渋滞に遭う」「眠くなる」「道に迷う」といったことだ。その後に、これを取り除くアイデアを考える。ステークホルダーの置かれた環境にあるマイナス要因をマイナスする仕組みだ。
市場の目では、その商品・サービスのマニアなどのとがったニーズに着目する。車載機器であれば、非常に高価なオーディオをつけたり、数多くのスピーカーをつけたりする人のニーズを分析し、そのニーズをより気軽に手に入れられるようにすることで新たな価値の創出に結びつくかを検討する。プラス要因をプラスする仕組みである。
商品の目では、商品の仕様を決めるパラメーターを極端に変化させて、どのような影響があるかを分析する。例えば「カーナビの画面を大きくする」「画面の数を増やす」といったことだ。これに取り組むことで、既成概念にとらわれずに発想を振り切ることが可能になる。
インフォ(事)でE4Vに取り組んだメンバーが、特に着目した「お客様の困りごと」がカーナビの画面だった。据え付け型カーナビは、設置スペースの制約で2DINと呼ばれる横幅180ミリ×高さ100ミリのスペースに設置する必要がある。このため、画面のサイズが最大7インチまでしか確保できないという制約があった。7インチよりも大きい画面の製品も存在していたが、特定の売れ筋車種向けに専用設計されたものだった。また、2DINに格納するため、どれも似たようなデザインとなっていた。
「画面は最大7インチ、デザインの差異化は難しい」――市販カーナビの開発者にとっては、これが既成概念ともいえるものだ。インフォ(事)のメンバーはE4Vのワークショップを通して、この既成概念を打ち破る。「2DINの制約からの解放」というアイデアが生み出されたのだ。その後、筋の良さそうなアイデアを具体的なイメージが理解できるような絵にしてワークショップで議論した。その結果、「みんなのクルマに大画面」というコンセプトが策定されることになった。
E4Vのプロセスでは、コンセプトが決まった後に「WOW!カタログ」を作成する。これは、企画・開発の段階で、あたかも商品・サービスが既に存在しているがごとく、仮想的なカタログを作成する取り組みだ。WOW!カタログを基にワークショップで議論し、困りごとや不満点が出てきたら、それを改善した商品・サービスのカタログを再度、作成する。WOW!カタログを繰り返して作成する中で商品・サービスが進化することで、最終的にユーザーが「WOW!」と感嘆してくれるようなものが生まれるのである。
インフォ(事)では、WOW!カタログを営業部門や販売会社のキーパーソン、経営幹部などの重要なステークホルダーに見てもらい、そこで議論し、製品をブラッシュアップしていった。こうした取り組みでたどり着いたのが「フローティング構造」という、過去に類を見ない仕組みだった。フローティング構造とは、本体部分が2DINサイズでディスプレイ部がコンソールから飛び出した状態になる仕組みのことだ。
この新しい仕組みを採用して開発されたのが、2016年6月に発売した「ストラーダ CN-F1D」である(図4)。インフォ(事)のメンバーは、当初に掲げた製品コンセプトにある「みんなの」という部分にもこだわった。一般に2DINのカーナビでも、車種ごとに専用の取り付け部品が必要になり、通常は売れ筋の数十車種向けにしか用意されない。これに対して同社では、フローティング構造の特徴を生かして、販売の当初から約150もの車種に対応できるようにした。現在は330以上の車種に取り付けられるようになっている。
一連の活動を実践した、インフォ(事)の大渕徹之・市販事業推進部商品設計1課課長は、WOW!カタログの効用を次のように語る(図5)。「試作品を作らなくても、カタログ上で製品がどんどん進化していくので、顧客価値づくりモデルのサイクルを短期間で回すことが可能になりました。従来は約18カ月かかっていたトータルの商品開発サイクルが、12カ月程度に短縮できました」
新しい構造を採用した今回の製品開発では、デザインや車両への設置性、振動への耐久性、顧客へのアピール方法など数多くの課題をWOW!カタログでの議論で抽出できたという。
市販カーナビの売上高が1.4倍に
CN-F1Dは、市場から高い評価を受けた。「オートサウンドウェブグランプリ」や「カーグッズ・オブ・ザ・イヤー」「日刊自動車新聞用品大賞 2016」「グッドデザイン賞 2016」といった社外の賞を相次ぎ受賞したのだ。
同社の経営にも大きく貢献している。市販カーナビの売り上げが、2016年度は前年度に比べて1.4倍にも伸びたのだ。これはCN-F1Dの売り上げが寄与しただけではなく、販売店との関係がこれまでよりも親密になり、既存モデルの売り上げも伸びた結果だという。
一連の改革を牽引した上原氏は、ここで実証したプロセスは再現性がある理論であり、コモディティー化しているほかの市場でも応用できると考えている。今後は、同様の取り組みをほかの市販製品にも広げていく計画だ。同氏は、家電のように仲介者が量販店しかないような製品で大きな成果が上がると見ている。(了)
●参考文献
上原宏敏(2016)「製造業におけるコモディティ化の回避に関する研究:持続的顧客価値づくりサイクル」(博士論文)