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Vol. 008

事例

株式会社 矢田工業所

家業である会社に入って常務に就いたものの、経営環境は極めて厳しい。経営を圧迫している納期遅れや過剰在庫を改善しないと会社存続の危機ともなる。どうすれば、この苦境から脱却できるのか…

こんな時、あなたならどうする?

既成概念を180度転換 納期短縮を最優先に

受注残が山積みなのは良いことだ――。こうした意識が社内に定着していた矢田工業所。経営難に陥った同社がTOCからの学びによって、この既成概念から脱却。従来とは正反対ともいえる「リードタイムの短縮に集中する」ことを経営方針に掲げて業績を回復させた。

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 「赤字続きの町工場でも、簡単なソリューションで儲かる町工場に生まれ変わることが可能です」。こう力説するのは、矢田工業所(愛知県稲沢市)の常務取締役を務める野村昭郎氏だ。経営危機に陥った同社を再生するために、同氏は全体最適のマネジメント理論「TOC(Theory Of Constraints=制約理論)」に活路を見いだす。TOCからの学びを生かして「リードタイムの短縮に集中する」ことを経営方針の柱に掲げてそれに集中した結果、同社を再生させることに成功する。


図1●矢田工業所が手がける主な事業

無意識にTOCを実践

 塗装業を祖業とする同社は、大手製造業を顧客とする受注生産型の製造事業者。長年の間に培った塗装と板金の技術力を生かして昇降機や変圧器、分電盤に関連する事業を展開している。野村氏は、自社を「中小零細企業の集まりのような会社」だと評する。


 同氏は、日本楽器製造(現・ヤマハ)や自営業を経て2005年に家業である同社へ入社。会長である父親が亡くなった直後の2012年に常務に就任した。「当時は業績が極めて厳しい時期で、少しでも売り上げが下がると赤字が拡大するような状況でした」。野村氏は、常務に就任した際の経営環境をこう振り返る。


 同氏が、会社の建て直しにTOCを活用しようと決断した背景には、過去に取り組んだ改革活動がある。常務に就任する以前の2009年に、何十年も赤字続きだった変圧器の巻線工場の改革に乗り出す。巻線は材料費率が約7割と極めて高く、社内では「巻線は儲からない」というのが常識だったという。


 しかし、試行錯誤の末にたどり着いた取り組みが功を奏し、黒字化を果たす。その取り組みとは、納期を起点として明確で厳格に着手タイミングを管理することだ。先行生産に制限をかけることで在庫が減るとともに、無駄な作業がなくなって生産性が劇的に改善。収益も納期順守率も大きく向上した。


 ただし当時は、この成功に疑問もあったという。野村氏は「生産性が向上した仕組みが理解できていませんでした」と語る。2011年に、この疑問は氷解する。たまたま見かけたTOCの紹介記事で興味を覚え、調べてみると自身の取り組みが「DBR(ドラム・バッファ・ロープ)」と同じだと気づいたのだ。TOCの知識体系の一つであるDBRは、現場のオペレーションの管理のための方法論。このことに気づいた野村氏は、関連書籍を集めてTOCを学び始める。



まずは制約を定義する

 経営環境が厳しい中で常務に就いた同氏はTOCに活路を見いだすべく、TOCに関するセミナーの数々に参加。その中で制約の改善に集中することの重要性を学んだ。その後、「ゴールドラットスクール」が開講されることを知った。このスクールは、進化し続けるTOCの知識体系を深く学びたい人々のために、ゴールドラットグループ本国で実施しているセミナーの日本版だ。


 同氏は2014年に開講された「ゼロから始めるTOC実践ワークショップ」を第1期生として受講。5カ月間にわたって月に1度、丸一日をかけてTOCのソリューションを学ぶプログラムだ。ここで、改めてDBRを基礎から学んだ。


 現場の改善や経営改革に対して、TOCが目覚ましい成果をもたらすことを実感した野村氏は、その後もゴールドラットスクールの新しいプログラムが開講される度、常に第1期生として受講する。2015年にはTOCのトップエキスパートを育成する「TOCエグゼクティブコース」、2016年には問題を解決する思考方法を学ぶ「ゴールドラットTOC思考プロセス」を受講。2019年には、もともとは行政関係の幹部教育のために開発された「実践TOCブレークスルーマネジメントコース」を受講している。TOCを学んだ結果、野村氏は「まずは制約は何か」ということを意識するようになったという。同氏は、その効果を次のように語る。


「問題を解決する際には、最初に制約を定義します。制約を意識しないと同じ環境で同じ問題に遭遇した場合でも改善策が異なり、対策によっては赤字になる場合もありますし、黒字になる場合もあります。ここは本当に重要で、マネジメント次第で赤・黒が変わってくるのです」

図2●矢田工業所が作成したS&Tツリー


リードタイムの短縮に集中

 「思考プロセス」のプログラムでは、自社の「戦略と戦術のツリー(S&Tツリー)」を作成する。改革の工程表に相当するS&Tツリーは、最終目標(ゴール)の達成に至る中間目標と、それを達成するためのアクションや前提条件をツリー状に可視化したものだ。


 ツリーの最上段には経営トップの戦略と戦術が置かれ、それが幹部、マネジャー、現場の社員の戦略と戦術へと展開されていく仕組みだ。組織のゴールや目的に対する活動の不整合によって顕在化する対立を排除して、組織に調和をもたらすことが目的だ。


 野村氏は、経営トップの戦術の一つとして「どこよりも短い納期で絶対に納期順守することをお約束する」ということを掲げた。これは、同社の経営方針として「リードタイムの短縮に集中する」ことと「短納期を競争優位性に位置付けている」ことを意味している。実際、同社がウェブサイトで公表している「営業方針」でも「品質は当然、しかも厳しい納期という条件もクリアすることが我々の最大の使命と考えています」と宣言している。


 実は、リードタイムの短縮に集中することは、同社の既成概念を覆すことにほかならない。塗装業を祖業としている同社では、受注残があることが何よりも大切だという考え方が根付いていた。塗装業であれば、塗装のために自社に置いてある仕掛品は顧客の資産であり、どれだけ在庫があっても財務上の痛みはない。むしろ仕掛品が多いことは、仕事が途切れないことを意味するとともに、現場の稼働率も向上するので良いことずくめ。こうした考え方の下では、仕掛品が山積みであることは良いことなのだ。


 しかし、塗装にとどまらず、板金や組み立ても一体として事業を展開している現在は、この既成概念が業績の足を引っ張っていた。仕掛品は自社の資産であるため、在庫の滞留はキャッシュの滞留に直結する。


 リードタイムの短縮に集中することを経営方針に打ち出した現在では「仕掛品が山積みであることは悪いことだ」と180度、考え方が変わっている。材料を調達する際には、必要なものを小ロットで購入することを徹底させている。野村氏は次のように説明する。「以前は原価の低減や納期順守率の向上のために、材料をできるだけまとめて調達して先行生産することが良いことだと考えていました。しかし、現在はたとえ高くてもその時点で必要な分だけを調達するように心がけています。この方がより早くキャッシュが回転して収益につながりますし、リードタイムが短くなるのでお客様にも喜んでいただけます」


 材料のコストが高くなっても過剰に調達したときのロス、すなわち「作りすぎ」や「今やる必要のない作業をしてしまうこと」による納期対応力の低下や保管場所、モノを探す手間などを考えると多少のコスト増は大した問題ではないという。現場の社員には「大ロットで購入した方が原価は安くなる」という考え方は捨てるように指示したという。外注先の協力を仰ぐために、小ロットで必要な分だけ納めてもらう見返りに購入単価を上げるといった取り組みも行っている。


図3●TOCからの学びによって、従来の既成概念を180度転換して大きな成果を生み出した


現場の社員もスクールを受講

 ただし、こうした考え方がすぐに現場の社員の行動に結びついたわけではない。例えば、現場の社員に対して「塗装の売り上げを第一に考えて、塗装の仕事を目いっぱい詰め込む」という部分最適のやり方よりも、「全体の利益を考えて、工場内の流れを優先させる」という全体最適の取り組みの方が儲かると説明したところ、「常務はお客様を大切にしていない」と反論されたこともあったという。


 野村氏は、こうした状況を改善するために社員の意識改革も必要だと考えていた。「改革を成功に導くためには、現場の社員も考え方を合わせることが重要」(野村氏)なので、現場の社員をゴールドラットスクールに送り込んだ。TOCの基本を学ぶ「ゼロから始めるTOC実践ワークショップ」には毎回、矢田工業所の社員が参加。現在までに合計で10人以上が受講している。


 さらに「制約に集中する」というTOCの考え方を全社に根付かせるために2014年から毎月、「改善事例発表会」を行っている。単に成果を出した改善事例を披露する場ではない。対象としているシステムの範囲を定義した上で「その制約が何か」を意識して発表するように指導しているという。


 これらの取り組みの結果、今では現場の社員にも「制約に集中する」という考え方が定着してきた。例えば、ラインで生産する製品では制約工程を意識して、この工程を止めないように休憩を交替でとるといったことが当たり前に行われている。以前であれば、変化への抵抗が激しく、こうした取り組みを実行に移すことが難しかったという。


 現在は数々の目覚ましい成果が表れている。この好例が、エスカレーター部門の生産工程におけるDBRの活用だ。具体的には、材料の投入を納期に合わせて出荷する分だけに制限。その時点で必要のない材料は投入しないとともに「フルキット」が完了するまでは生産にとりかからないという取り組みだ。


 フルキットとは、何らかの作業の前にその作業を開始したら流れよく完了するために必要なあらゆる準備(人員、マテリアル、その他の段取り)のこと。万全な準備ができていないと、手戻りや品質の低下を招き、結果として作業が遅れたり、取り返しのつかない状況に陥ったりする。これを防ぐために、TOCではフルキットが完了しない限り、その作業にとりかからないことを原則としている。


 エスカレーター部門では、全ての材料がそろわない限りは生産にとりかからないことを徹底している。こうした取り組みを実行した以降、納期対応力が劇的に改善している。さらに全社的な意識改革の成果として、全社の在庫金額も継続的に減少基調になるとともに、在庫回転率が右肩上がりに改善。この結果、収益も大きく改善している。


 全社の業績が向上するのに伴って社員の意識や行動も変化してきた。自社の在り方に社員が自信をもって行動できるようになり、強みを認識できたことで、それをアピールすることが営業活動の中心になっているという。

図4●全社の在庫評価金額と在庫回転率の推移


三方良しの実現が目標

 業績の急速な回復には思わぬ副産物もあった。税務署が粉飾決算の疑いをもったのだ。売上高が増えているのに在庫が減っている貸借対照表を怪しいとにらんだからだ。確かに売り上げが伸びて在庫が減るということは、一般的には考えられない状況だろう。


 あらぬ疑いを晴らすために野村氏は、改革がいかに成果を生み出したかを説明するのに奮闘した。社内での改善事例集やTOCに関する論文、ゴールドラットスクールのパンフレット、スクールで取得した資格認定書など考えられる限りの資料を提出した結果、税務署の担当者も納得してくれたという。


 野村氏は自社での経験から「どのような町工場でも、3つのことを手がけるだけで必ず大きな成果が得られます」と強調する。その3つとは「仕掛かりをなくす」「フルキットする」「フローを測定して管理する」――というものだ。いずれも新たな設備投資が不要なので、どこの工場でも取り組めるだろう。


 今後の事業展開として、町工場の受け皿となるようなプラットフォームを目指したいという。廃業する町工場が増えているが、その受け皿となって複合的にワンストップのサービスを顧客に提供するような形態である。野村氏は「お客様・会社・従業員の三方良しを実現することが、矢田工業所の目指すところです」と将来の展望を語る。(了)

図5●矢田工業所がリードタイム短縮に集中すると決断した際のリスキー・プレディクション

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